地元の氏神様、錦織神社
三代目社長のご神徳巡りの第2弾は、地元の氏神様である錦織(にしこおり)神社について、ご紹介してみたいと思います。
富田林市宮甲田町に鎮座する錦織神社は、近鉄河内長野線川西駅から徒歩2、3分、車なら旧国道170号線と外環状線の間に位置しています。
私の住んでいる富田林市須賀町だけでなく、近隣の錦織地区、廿山地区、甲田地区、宮甲田地区、五軒家地区、加太地区、伏山地区、新家地区の9村の氏神様でもあります。
自分にとっては、幼い頃より秋祭りでだんじりと共に宮入する時に、いちばんお世話になる氏神様でした。
と言っても、かつては、秋祭りと正月初詣の年2回程度しかお詣りにも行きませんでした。
車なら、10分程度で行けますが、歩いて行くと1時間以上はかかるので、日常ではそれほど頻繁にお詣りする
わけでもなく、信心深い氏子とはとても呼べるものではありませんでした。
ある開運の本を読んでいると、「まずは氏神様、産土神を大切にしなさい」と書かれていました。
「そう言えば、氏神様とは言え、普段はあまりお詣りしてないよな?」と反省し、最近は、できるだけ時間をみつけて
ちょっとだけでも立ち寄って、お参りするようにしています。
節分終了の御礼に参拝
今年は2月2日が節分でしたが、節分前には、自社製品の節分豆を奉納させて頂きました。
そして、先日、無事、節分も終わり立春を迎えたことで、改めて妻と共に御礼の参拝に伺いました。
ここにアップする画像は、その時の画像を使っています。
錦織神社の由緒書による特徴
「錦織」と言う地名から類推できるように、この一帯は、河内の石川の川沿いに、太古より織物技能をもつ一族が、古代に百済から渡来し、定住したと考えられており、古くから「錦部郡(にしごりぐん)」と称されてきました。
そして、当地が大和へ通ずる水路の要地にあったことから、神社も長らく「水郡(みずこり)宮」や「錦部(にしごり)神社」と称されたようですが、明治40年に現在の「錦織神社」に改称されました。
その創建は、平安時代後期以前と伝えられ、今、国の重要文化財に指定されている社殿は、南北朝時代の正平18年(1363年)の創建であると伝えられています。
その歴史的価値から、昭和8年には、国宝の指定を受け、その後昭和10年に大修築を行い、再度25年にも重要文化財に指定を受けています。
近年でも、痛みのひどい社殿を、平成16年には大修理を行い、創建当時の社殿の輝きを取り戻し「錦部造(にしきごりつくり)」と称される独特の建築様式を、今に伝えています。
特に本殿屋根の形状である「正面千鳥破風(ちどりはふ)付向拝三間(こうはいさんげん)、軒唐破風(のきからはふ)付檜皮葺(ひわだぶき)」と「極彩色(ごくさいしき)共斗栱拳鼻(ますがたときょうこぶしばな)」の手法が最大の特徴で、江戸時代の日光東照宮の造営にも大きく影響したと考えられています。
寺社建築の知識は乏しいのですが、おそらく、千鳥破風と唐破風を組み合わせた珍しい形状だと言うことだと思われます。
そして、ご祭神は、本殿中央に、建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、向かって右に、品陀別命(ほんだわけのみこと)、左に菅原道真公の三柱がお祀りされています。
平成の大修理に続き、令和の記念事業を計画中
もちろん、歴史的な建造物も風雨にさらされ、時代と共に劣化、痛みがはげしくなっていきます。
僕が、幼い頃から馴染んできた錦織神社は、正直、ボロボロでした。
それが、「21世紀の大造営」と称して、平成16年(2004年)に全面的に改修工事が終了しました。 総事業費は、
3億5千万円ののぼり、その中でも氏子からの寄付総額も、2億円以上に達し、これをもってもいかに近隣の氏子から、錦織神社が崇敬を集めていたのかが伺われます。
檜皮を葺く為に、その材料が集まるのまで、数年待ったと聞いています。
竣工なった「極彩色」の新社殿を拝して、氏神様の神々しさを今でも鮮明に記憶しています。
そして、境内には、その時に父が寄付した証として、石碑も立てて頂きました。
秋祭りのクライマックスは、だんじりの神社への宮入り
毎年10月の第2土曜日は、氏神様、錦織神社の秋季例大祭が奉斎されます。 つまり、各氏地から繰り出されるだんじ9台が、順番に宮入りをしていきます。
幼い頃から1年で一番の楽しみのひとつでした。 秋祭りのお宮さんには、数えきれないぐらい思い出が詰まっています。
小さい頃は、だんじりだけでなく屋台も楽しみでしたし、青年団の時代は、宮さんでいかに目立つか? 奉納俄(にわか)や青年団長の口上など色々な思い出が詰まっています。 ここ数年では曳行に責任ある立場になってからは、いかに安全に宮入、宮出をして、地車の奉納を行うかに心を配りました。
残念ながら、令和元年(2019年)の秋祭りの宮入は、台風の接近で中止、そして、昨年はコロナの為に、秋祭り自体が中止となってので、まだ、令和になってからだんじりの宮入ができていないので、ぜひ、コロナが終息して、今年、令和3年ことは宮入りをしてみたいものです。
長い参道の奥に、ご鎮座する錦織神社、長らく氏子に厚く崇敬を集めてきた特徴あるお社を、ぜひ一度、みなさんも機会があれば、ご参拝してみてください。
平成30年、31年と2年間、地元須賀町の祭礼運営委員長を務めさせてもらいました。
祭り、だんじり曳行の総責任者なので、正直、秋祭りの2日間は、まったく楽しめません。今まで祭りでは感じたことのないプレッシャーでした、祭りなのにお酒もほとんど口にせずに、ひたすら、地車の安全曳行を願いながらの二日間を過ごします。 今思えば、いい経験をさせてもらいました。
今回も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。 次号は、3月下旬にお伊勢参りを予定していますので、その話題を取り上げたいと思います。