家業に参入します!

冨士屋製菓本舗三代目の娘です

初めまして。冨士屋製菓本舗三代目の長女、ひろちゃんです。
この度、冨士屋製菓本舗の新人事務として働かせて頂くことになりました。
大学を卒業後、一般企業に就職し社会経験を積んだ後に、幼い頃から秘かに抱いていた夢「お豆屋さんになる」を叶えることができました。大正2年に曾祖父が創業した冨士屋製菓本舗。長い歴史のある家業に就くまでに私が抱いてきた思いは、単純なものではありませんでした。

子供のころからの夢

幼いころから秘かに抱いていたと書いたのには理由があります。それは家業に就くまでに色々な思いを抱いてきたからです。
私は2歳から保育園に入りました。当時0歳だった妹と一緒に保育園に預けるのは両親も寂しかったのではないかと思います。
祖父母は私たちが園庭で遊んでいる姿を何度も見に来ては目に涙を溜めていたと言います。
しかしそんな心配をよそに、私は保育園で思いっきり楽しんでいたそうです。
私が小学生になると家業の方では楽豆屋のブランドができ、両親も催事販売などで忙しくなっていきました。
運動会に母が出席できなかった年は今でも鮮明に覚えています。母の代わりに父が朝早くから場所取りをしてくれ
祖父母、叔父叔母、従妹、家族総出で運動会を盛り上げてくれましたがどこか寂しかったのだと思います。
こんな思いが少しずつ積み重なっていき、ある日母に「お母さんが仕事してたら寂しい、辞めて欲しい」と言ってしまったのです。
両親が普通のサラリーマンだったらこんな思いもしていないのにと思ったこともありました。
しかし仕事の合間にも家族旅行に連れて行ってくれたり、週末には必ず家族の時間がありました。
今から思えば構ってほしさに思ってもないことを言ってしまったんだなと、贅沢な私の我儘に当時の母に申し訳ないです。
中学生になったころは両親に変わり同居していた祖父母が良く面倒を見てくれました。
反抗期だった私は仕事が忙しい両親よりも甘やかしてくれる祖父母の方にべったりでした。
そして真剣に将来の夢について考えるようになったのはこの頃です。
両親が必死になって働いている姿を見ていた私は、どこかで「長女だから家業を継がないといけない」と思っていました。
と、同時に家業を継ぐことの大変さも感じていました。
友達には「簡単に社長になれるからいいな~」「働くところが決まっているからいいな~」などと言われたこともあります。
もちろん、悪意なんてない言葉なのですが、幼いながらに家業について様々な思いがあったからこそ
あまり嬉しい言葉ではなかったのです。そんな時両親がかけてくれた言葉は「本当にしたいことをやってみなさい」でした。
その言葉に背中を押された私は豆菓子屋ではなく、子供が好きと言う思いから幼児教育の道に進むことに決めたのです。

消えない豆菓子屋への思い

大学に進学した私は幼児教育を学びました。サークルにも入り沢山の出会いがありました。
「大学へいったら色んな人と出会って、今しかできないことを楽しみなさい」そう母が言ってくれた言葉の通りの大学生活でした。
そしていよいよ就職活動を始める年になり、本当に自分がしたかった仕事は幼児教育なのか?と自問自答するようになりました。
しかし専門的なことを学ぶために大学へ進学させてもらった手前、この悩みは簡単に打ち明けることができませんでした。
当時はこのモヤモヤした気持ちの正体が何かは分かりませんでしたが、やはり心の中にあったのは「お豆屋さんになる」という
子供のころから抱いてきた夢だったのだと思います。
そんな時、さすが親です。遊んでばかりであまり顔を合わすこともなかった私の悩みに気づき、声をかけてくれたのです。
そこから私の方向転換は早いものでした。自分が魅力的だと感じる仕事に出会う為に就職活動を始めました。
そして大学4回生の8月、私の人生を変える出来事が起こったのです。

南海沿線アトツギソン

2019年8月末、当時大学4回生だった私は母の友人の紹介で南海沿線アトツギソンというイベントに参加することになりました。
このイベントでは沢山の出会いがありました。まずは参加者の皆さんです。
同じように家業について色々な思いを抱いている方々との出会いは私にとって、とても貴重な機会でした。
お弁当を食べたり、休憩の際にはアトツギ女子の輪に入れてもらい、色々なお話をさせて頂きました。
これまでアトツギの女性に出会ったことがなかったので、女性が家業を継ぐということに対し葛藤しているのは
私だけじゃないんだと感じ、勝手に心強くなったことを覚えています。
同じグループの方と力を合わせ無事イベントを終えたときには、達成感と喜びで溢れていました。
※南海沿線アトツギソンの詳細については後日記事にさせて頂きます。
アトツギソンでの出会いは参加者の方々だけではありませんでした。
イベントのスタッフの方は本当によくして下さり、アトツギの為にと尽くしてくださりました。
南海電鉄の方々、一般社団法人ベンチャー型事業継承の方々には感謝してもしきれません。
そして誰よりも私の印象に残っているのはやはり、主催者である山野千枝さんです。
アトツギソン閉会式の山野さんのお言葉に私は胸を撃たれました。

幼いころから抱えてきた家業への色々な思いがこの文章に全て詰まっている気がしました。
山野さんは私の人生において憧れの人です。
そしてアトツギソンを通して家業に真剣に向き合うことができ、私がやりたいことは冨士屋製菓本舗で働くことなのだと
強く思いました。このイベントに参加されている方は既に家業に就いている方がほとんどでしたが、
まだ自分の将来がハッキリ見えていなかった私にとっては人生の分岐点だったように思います。

三代目娘の心構え

幼い頃から家業とは私にとってライバルのような存在でした。
社長である父やそれを支える母に対しては仕事と私達娘、どちらの方が大切なの?という感情を抱いていたことがありました。
ですが、今こうして家業に参入することになり少しは両親の気持ちがわかるような気がします。
先代から受け継がれた大切な会社を守らなければならないという事。それが家族を守るという事。
これらはこの家に生まれたからという“責任”というよりは、自分から守りたいと思えるものだという事。
この感情は上手くは語れませんが、私は幼い頃から後継ぎとしての心が育っていたのだと今になって気づかされます。

会社を設立した曾祖父、それをサポートした曾祖母、純粋に家業というものが好きで、どんな時も会社の事を考えていた亡き祖父
今でも会社の為に懸命に働く祖母、三代目社長である父、それを一番近くで支え続ける母。
きっとここには書ききれないほど沢山の人に支えられてきた会社だと思います。
色んな人の思いが詰まった冨士屋製菓本舗でこうして働くことができて本当に幸せです。
まだ私が社長になるかはわかりません。ですが三代目娘の夢がかなった瞬間です。
何年後かにこのブログを読み、あの頃より成長したと感じられるよう飛躍してまいりたいと思います。
覚悟を決めた三代目娘を温かく見守っていただけると幸いです。

さあ!これから会社の為にバリバリ働くぞ!!

最後まで読んで頂きありがとうございました。

この記事を書いた人

中の人ひろちゃん

豆菓子屋、期待の新人事務兼WEB担当。生まれも育ちも富田林の私が若者視点で色んなことを発信します!!
旅行・美味しいもの・お酒が大好きです。
2022年6月に娘を出産。時々育児奮闘日記も書きます😊